長遠禅寺(人見勝太郎墓)


 

人見勝太郎 慶応3年(1867年)に遊撃隊に入隊し、慶応4年1月より起こった戊辰戦争に奮戦するが敗退。江戸へ撤退した後も徹底抗戦を主張する。遊撃隊を二つに分け、伊庭八郎と共に主戦派を率いて房総に上陸。房総の譜代大名諸藩の結集を図るが芳しい成果は得られなかった。林忠崇率いる請西藩軍と合流し(林は譜代大名当主で格上であるため、名目上の大将は林になる)、小田原藩や韮山奉行所を威圧し、箱根へ出兵。しかし一部の隊の突出により敗退。海軍副総裁榎本武揚らと図って江戸品川沖を脱出し、隊を率いて奥羽越列藩同盟との合流を目指す。その後隊を率いて北関東から東北地方を転戦し、仙台より榎本の幕府方艦隊と合流、蝦夷地へ渡り、蝦夷共和国下で松前奉行を勤める。明治2年(1869年)5月18日、五稜郭政権軍(旧幕府軍)は明治政府軍に降伏。戦後は茨城県令などに任命され、明治政府に出仕。実業界に身を投じる。 明治30年代よりたびたび史談会に出席し、談話を残している。大正11年、死去。享年80。

住所

京都府京都市上京区出水通千本西入尼ケ崎横町371

TEL

075-811-3953  

拝観時間

 

拝観料

 

閉館日

 

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